【書評】日本手話:知る・学ぶ・教える~明晴学園メソッド

日本の子どもたちは学校種が上がるにつれて「自己肯定感」が下がり、自信を持てない若者が増えているのではないかと危惧を覚える。さらにコロナ禍を経て児童・生徒や若者の自殺が増えており、文部科学省の統計の報告でも顕著になってきている。

「日本手話」の本を紹介しようとしているときに、衝撃的な情報が飛び込んできた。小・中・高等学校における「不登校児童生徒数」が過去最多にというニュースと、小・中・高等学校及び特別支援学校における「いじめの認知件数」が過去最多の増加であるという文部科学省からのニュースである。こども環境学会で「困難をかかえる子どもの支援研究会」を主宰し、長年、学校教育にかかわっている者としては上記のことが気になる。

2020年1月明晴学園で会場をお借りして研究会を開催したことがある。明晴学園は2008年に、日本で初めて手話ですべての教科が学べる特区研究開発学校として設立されている。聞こえない・聞こえにくいとわかった赤ちゃんから、幼稚部、小学部、中学部までろう者としてのアイデンティティを高める教育に重点においている学校で、児童・生徒は日本語とは別の言語である日本手話を第一言語、第二言語として日本語を学ぶとともに、ろう文化・ろう者としてのアイデンティティを確立し、聴者の社会へと羽ばたいている。

そこで明晴学園で学び卒業し、聴者の高校、大学生活を経て社会に出て7年になり実際にどんな壁にぶつかり、どう立ち向かい、自己肯定感を高めてきたのか、卒業生のHさんにお話を伺ったことがある。何度か明晴学園の授業や行事に参加させていただいて感じていたことが、『日本手話:知る・学ぶ・教える』を読んできわめて納得したところである。

明晴学園の児童・生徒さんには「概念形成」ができているという実感である。日本の教育派は「知識伝達型」で行われ、その成果を評価としてのテストやどのような高校や大学へ進学するかという尺度で測られている。しかし2020年から教育課程が大きく変革し、「知識の量」で測るのではなく、自ら「探究する」ことを重視する方向へ舵を切ったのであるから学校教育に係わる方に本書を参照していただきたいという強い願いが沸き上がる。

現行の教育改革は1996年の中教審第一次答申に始まる。「時代を超えても変わらない価値あるもの(不易)を認識し、変化の激しい、不確実性の高い社会(流行)への柔軟な対応が求められる」こと、不確実性の高い21世紀にを迎えるにあたり、「正解が見えないことへの対応」が求められていたのが25年を経てやっとたどり着いて教育課程を変え、動き出したといえる。そこでは「生きる力」とは、単に過去の知識を記憶しているということではなく、「自分で課題を見つけ、自ら考え、自ら問題を解決していく資質や能力」が不可欠とされていたのである。したがって新学習指導要領 の前文では、「一人一人の児童・生徒が,自分のよさや可能性を認識するとともに,あらゆる他者を価値のある存在として尊重し,多様な人々と協働しながら様々な社会的変化を乗り越え,豊かな人生を切り拓ひらき,持続可能な社会の創り手となることができるようにすることが求められる」と記述されたのである。

そうした教育理念を体現しているのが「明晴学園メソッド」と言われている教育課程である。「明晴学園メソッド」は「手話と日本語のバイリンガルとなり、自らのアイデンティティを確立することで、社会に主体的、積極的に参加できる人を育てる」ことを目標としていて、日本の一般的な義務教育と同じ授業時数を確保している。その教育課程での「新設教科」は「手話:理解・表現(言語技術)/文法(言語構造)/物語・文学(ろう文化)」<従来の教科:国語、音楽>、「日本語:理解・表現(言語技術)/文法(言語構造)/物語・文学(聴文化)」<従来の教科:国語、自立活動>、「市民科:道徳/特別活動/総合的な学習の時間/文化<従来の教科:道徳/特別活動/総合的な学習の時間/自立活動>である。

教育方針としては、「しかありの学習プロセス」にもとづく指導計画により「知識重視ではなく、考え、利用できる力の育み」を重視している。「しかありの学習プロセス」は「知る」「考える」「表す」「利用する」という循環構造、つまりJ.デューイのいうところの「反省的思考過程」になっている。初めに「知る」こと「知識あり」ではないプロセス(図1)を経ていく仕組みになっている。それが初めに記述した「概念形成」に結びついているのであり、かつ、単元計画においても6つのTの視点(図2)から組み立てられるようになっており、児童生徒の関心がより広がり、深まるように配慮されている。このことは一般的な学校の学習活動の指導案づくりへのヒントにもなると考える。ここ十年近く教員のカリキュラム・デザインの教員研修を担当している立場からは、明晴学園の「手話科」の授業づくりを一般の小・中・高校の教員に参照されてほしいと願う。さらに本書では、5章以降、ていねいに指導計画づくりと評価とアセスメント、文法の解説がされており、8章・9章で実践の事例が展開されているので、本書の活用範囲は広く、各地で展開されている子どもたちへの体験活動のインタープリターやファシリテータ―にも活用可能と考える。

「自己肯定感」の育みは、社会に出て困難に直面した時に「前向きに挑戦していける精神力」で、どのような土壌の場でも児童生徒の「根っこ」を育む環境づくりへの学会の役割の重要性を確認させられた著作であり、学会員への一読を進めたい。

(小澤 紀美子)

図1 しかありに基づく学習のプロセス
図2 6つのT(単元を計画する時)

 

書名  知る・学ぶ・教える 日本手話 明晴学園メソッド
著者名 森田明・狩野桂子
発売日 2023年8月
価格   定価3,520円(税込)
ISBN   978-4-761-92956-5
版型  B5判
ページ数  224ページ
出版社  学事出版
リンクURL https://www.gakuji.co.jp/book/b10039285.html