特集 避難地の遊び支援(能登半島地震と遊び場)

株式会社ガクトラボ 仁志出憲聖

2次避難先のホテルでのこどもたちの遊び場づくり

一般社団法人第3職員室は、金沢市でこどもたちの居場所づくりをしています。1月1日に能登半島地震が発生し、最大5,275人がホテル・旅館等での2次避難を余儀なくされました。私たちは発災直後から、被災したこどもたちのために避難先のホテルでの居場所づくりに奔走してきました。

被災地と2次避難先で居場所を立ち上げ

地震発生直後、私たちはすぐに行動を開始しました。1月4日には、七尾市でこどもたちの居場所の立ち上げを行う認定NPO法人カタリバに協力しました。
そうしたなかで、金沢市にて60名ほどが避難していたホテル「LINNAS Kanazawa」の代表者からこどもたちの居場所づくりを相談されました。私たちはすぐに施設を視察し、10日にはホテルのスペースをお借りして、認定NPO法人カタリバと共に、こどもたちの遊び場をつくりました。この遊び場は、すべての利用者がホテルを退所される4月28日まで、毎日開館していました。

わずかなスペースで幅広い年代の子たちのニーズに対応

利用者は当初、ほとんど身ひとつで避難してきた状態でしたので、服や食事など必要物資の配布なども、臨機応変に取り組んでいきました。
また利用者の多くが乳幼児であったため、保育士の確保が課題となりました。そこで、エンパワー・サポート株式会社の協力の下で、保育士向け求職アプリ「ちょこっとほいく!」を利用して解決し、乳幼児の受け入れを実現しました。
次第に、こどもたちが活発に動くようになり、さまざまな年代のこどもたちの共存を考える必要がでてきました。0歳児が寝ているそばで、1歳児がハイハイする。その横で、5歳児がボールで遊んでいる、といった具合です。みんな動きたい、遊びたい気持ちがあるなか、限られたスペースで幅広い年齢の子たちが一緒に過ごさなければなりません。
そこでエリアを分けてスタッフを配置して安全性を確保したり、静と動の時間を分けて活動するなどの工夫を取り入れたりしました。思う存分はしゃいで笑顔になるこどもたちを見て、親御さんも「初めて笑っていいんだと安心した」と言います。
専門知識や行事づくりなどに秀でた保育士に加え、「いつものお兄ちゃんお姉ちゃん」となる大学生ボランティアが元気いっぱいに、自由に過ごしやすい場を演出し、現場全体を統括する管理者とが三位一体となって、のびのびしながらも安全安心な場がつくれました。
自宅の片付けや、小一時間ほっと一息つくといったことが出来ずに、避難生活を送っていた方も少なくないと思います。このような環境であったことから、親御さんの気持ちや時間にも余裕を作ることができたと感じます。

目まぐるしく変化する状況と、避難先でのつながりの重要性

今回の支援で感じたのは、状況の変化の目まぐるしさです。毎日来ていた子が来れなくなったり、新しい子が来るようになったり、避難状況やご家族の事情、支援内容の変化などにより、日々刻々と状況が変化していきました。ホテル生活のさなか仮設住宅への転居手続きや仕事探しをしたり、お子さんの入園や進学などの準備を行ったりする方もいらっしゃいました。大人でさえ対応が大変な状況ですから、こどもたちはなおさらです。常に変化する状況を注意深く追いながら、ニーズに応えられるよう努めました。
避難生活によって、従来のつながりが一時的に失われてしまいました。新しい土地で孤立してしまわないよう、避難先でも新たなつながりをつくれるような支援が重要です。実際、避難してきたあるお母さんは「ここはみんな家族みたいなもの。みなし仮設に移るのがつらい」と話していました。
こどもたちの居場所が、親御さんたちにとっても心の支えとなり、一息つける場所となりました。

<LINNAS Kanazawaでのこどもたちの様子>

避難先での中高生の居場所・機会・つながりづくり

1月1日に発生した能登半島地震。私たち第3職員室では、発災直後からこどもたちの居場所づくりのために奔走しました。状況が刻々と変わるなか、中高生を中心とした10代などユースの居場所が新たに必要となり、「ユースのリビング」を開設しました。また、こどもたち同士が対面で会える機会を作るなど、発災から半年以上経つ現在も活動を続けています。

広域避難とこどもたちの「隠れ孤立」

今回の地震では、広域避難の問題が顕著でした。避難者が個々に遠方へ避難するため、誰がどこにいるのか把握しづらく、支援の届きにくくなっています。この問題は、東日本大震災や熊本地震でも指摘されてきました。
特に注目すべきは「隠れ孤立」です。平日は能登の学校に通い、週末は家族の事情で金沢にいて友達がいない、金沢の学校に転入したものの馴染めない、父親が仕事の関係で別々に暮らさざるを得ないなど、震災をきっかけに生活環境が大きく変わったこどもたちが多く見受けられます。
こうしたなか、一見すると問題がないように見えても実際には孤立のリスクがあるこどもたちがいます。こどもたち本人も「他の人はもっと大変だから」と自覚せず、頑張ってしまい、実はストレスを抱えていることも珍しくありません。

対面で友達と会える機会の創出

広域避難や隠れ孤立の問題に対して、私たちが重視するのは、「居場所」「機会」「つながり」です。避難生活で従来のコミュニティとのつながりが失われるなか、避難先でもつながりをつくることが求められます。
被災以来、オンラインでは話せても、友達と対面で会えていない子もいます。オンラインだけでなく、実際に会う機会を設けることも大切です。そこで私たちは、金沢市内で様々な団体と連携し、交流会や食事、スポーツなどのイベントを企画しています。
友達と会える機会をつくることで、こどもたちはほっとし、のびのびできます。大変な状況を忘れて羽を伸ばせる時間を提供することで、こどもたちは本当に嬉しそうにしていました。

ユースの主体性を引き出す声かけ

金沢で被災した中高生向けの居場所もつくっています。2次避難先のホテルでの居場所を開設した際、利用者の多くは乳幼児であったため、中高生たちはそのスペースの端で勉強をしていました。彼らの勉強の機会も確保するため、新たにユース向けの居場所も立ち上げました。
ユースと接するときに意識していることは、主体性を引き出すことです。ある時、授業が再開しましたが、金沢に避難しているため体育はオンライン授業で参加していたユースが「卓球がしたい」と話しました。そこで、その場にあるものを使って、私たちと一緒に即席の卓球を始めました。
スタッフが声をかけることで、こどもたちが本当にやりたいことを引き出し、そこにあるもので工夫して一緒に楽しみながら実現する。これこそが遊びの醍醐味だと思います。

平時からの活動や連携が災害時にも活きる

支援に必要な関係性や運営ノウハウなどは、平時からの活動が役立ちました。2023年にユースセンターを開設し、こどもたちの居場所づくりに取り組んできました。この経験やつながりが、今回の迅速な対応につながりました。
また、能登半島の現場でユースワークを行う民間団体のネットワークを開設し、Slackでの情報交換や定期ミーティングを実施しています。それぞれの地域において限られたリソースで活動するなか、状況やノウハウの共有は重要です。
当初は、緊急性の高い情報交換の場でしたが、次第に未来の話へと発展しています。
各地域でそれぞれにつながりがあり、それらがコラボして混ぜ込んでいくことで、被災したこどもたちへの支援は確実に広がっていくと思います。

学習支援の様子

 

 

カレー箱で卓球ゲームをする様子

仁志出憲聖(にしでけんせい)

金沢市生まれ。株式会社ガクトラボ 代表取締役。一般社団法人第3職員室 理事兼ユースワーク事業責任者。
中高生など概ね10代の第三の居場所として、2023年にユースセンター金沢 ジュウバコを開設し、現在までセンター長を務める。